2011年11月9日水曜日

田舎に入ってからの考えの変化

今回は常吉の話ではありません。

ここ丹後に来て、見て感じて、多くの人に出会って話を聞いて、少しずつ考えが変わってきたことを10月の記事にしたいと思います。これは10月26〜27日にあった梅本農場での働き隊研修のレポートとして梅本さんにも読んで頂きます。(遅い(汗))


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今休学中(とはいっても研究はぽつぽつでも進めていかにゃならん)で、大学では生物多様性保全についてのとある研究をしようと考えている。自分は生き物、特に人里に近い環境の生き物が好きで、農学部の森林科学科に入った。学年が進むにつれて興味は生物多様性、生態学に向かい、そこでは「保全」というものが目的になっている。

「〜の保全を目的としてこの研究を行う。」
「里山環境の保全のためには、かくかくしかじかの管理が必要である。」


働き隊として田舎に入ると、「はて、保全とかってそんな声高に叫ぶものなのか?保全が目的?」と、少し疑問に感じたりするようになった。
もちろん里山環境の危機は現場にいる以上すごく感じているし、なんとかしたいと思う。

ただ、何かが違う。



9月のエントリでは原木シイタケの話で、生業が生態系に組み込まれていることへの感動を書きました。



10月は、同じ丹後で活動されている働き隊の方の受け入れ先である、梅本農場で梅本さんのお話を聞く機会がありました。



そのお話は印象的でした。「食の安全」へのこだわりもそうだったんですが、自分としてはむしろ、農業の本来あるべき姿を見、それを超えてヒトという種の本来のあり方に挑戦されている(と個人的に解釈しました)姿に感銘を受けたのと同時に、さっきの疑問も自分の中で1つの結論にたどり着いたように感じました。


キーワードは「いのち」「巡る」でした。


今までこの言葉を何度となく聞いてきました。頭では分かっていたけれども、実感ではない。教科書や授業で炭素や窒素の循環も少し勉強しました。そうです、確かにそうです。けれど実感が伴わない。


梅本さんとこで1日体験作業しました。自然農法に挑戦されている梅本さんは山の落ち葉と土壌を集めたりもしています。先日はそれを体験してきました。内容は簡単に書きます。





山(落葉広葉樹林)から落ち葉と土壌を集め、それを畑に撒いて土を作る作業。数年かけて土から作るのです。
そのあとは、その作業の意味とともに"いのちをいただく""いのちの循環"のお話と、その考えに至った背景、「オーガニックスタンダード」への思いを聞きました。
そして、前日に自分たちの手で奪った鴨の命をいただきました。



1日作業を体験しただけで全てを理解できる訳はないのですが、やはり百聞は一見にしかず。作業を通じて感じたことと人の話を直に聞くことで実感というものもでてくるようです。



そして、自分の中のさっきのもやもやは整理され、結論はこうなりました。ここからは、ですます調でなくなります(ですます、をつけるのがめんどくさくなりました)。

やっぱ保全は結果であって目的じゃないなぁ、と思った。
結局、目的はヒトという一生物が持続可能であるためなんだと。
「山が荒れているから手入れをして保全しないといけない。」…「荒れている」という価値判断は人間のものであり、その自然自身は、ただ全体のプロセスの1断片でしかないのだ。
結局、ヒトが持続可能であるために、どういう環境を望んでいるのか。それなんだと思う。
ヒトが生態系の頂点だから保全する責務があるとか、そんなのではなく、シンプルに一生物種として存続したいから。それでいいじゃないか、ヒトだもの。
じゃあそのためには何を大切にしなきゃいけないのか。
というところで、「いのち」「巡る」という言葉が意味を持ってくるのだと。個々の生物や無機的な自然環境を大切にするのも大事なんでしょうが、重要なのはその「系」、即ち繋がりであって、それを観念的に最も分かりやすくつなげる存在が「いのち」というワードだった。
そしてそれをもっとも身近に感じられる行為が、「食」なのだ。"いのちの循環"や"いのちをいただく"といった話で、「系」を、自分を支える生態系のスケールを、感じてもらう。
そしてこれからの時代、ヒトの持続可能性も危うい状況で、そういった教育が必要になってくるんだと。
生物多様性なんて話も本質はいのちの繋がりなんだと。自分という個を支える生物と、その生物を支える生物、生態系…

で、その話が観念論で終わらないためにも、(保全)生態学っていう科学がある。ただ、研究である以上、人間の持続可能性という目的は大きすぎるし、そもそも社会の意思決定の基礎をになう分野である以上、本来の結果である「保全」は直接目的になる。


こうやって考えていたら、自分は職業での研究者にはなれないだろうなと思った。笑
もともとあまりなろうとも考えていなかったけれど、こういう考えになった以上、自分は実践者になりたいのかもしれない。


そして、「自然農法」に対して個人的に感じたことは、安全とか安心とか、そういうものではなく、生態系に組み込まれた人間の1つの営みなのだと解釈した。安全、安心もまた結果であり、副次的な恩恵なんじゃないか。

もちろん、安全、安心な食べ物を求める社会のニーズがあって、それに応えうる食を生産する手段のひとつが自然農法であるし、とてもすばらしいことではあるが、やっぱり自分が大事にしたいところは、いのちの循環の中で生きる暮らし方、なのであった。

そんな暮らしの中で、大切なひとみんなに「おいしいね」とか、「あんたの作った野菜は安心できる」とか言ってもらえたら、とっても嬉しいのだろうな、と思った。






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ここまでが研修直後に思ったレポート的なものです。

ここからは余談で、ですます調に戻ります。

「少しでも多くの人に、安全・安心な食べ物を提供したい」と、ミッションを持って社会に強くメッセージを発信する梅本さん。
「生態系のサイクルに組み込まれた中での暮らしをしたい」という自分。

見据えている対象が、社会で困っている多くの人と、自分自身とその周りの人。

うーむ、幸せにしたい対象の規模が違いますね。
あ、自分は別に周りの人がどうなってもいいと思っている訳ではなくて、ただ、自分自身とその周りが幸せであることがはじめの一歩なんじゃないかと思っているんです。


いつかそういう風に、幸せにしたいと強く願う対象が人生とともに広がっていくものなんでしょうか??