2012年1月4日水曜日

人づくりに始まり人づくりに終わる

今更ですが、五十河レポートアップ!!

【見学会内容】
小町の舎見学、民家苑での薪割り体験、民家清掃後かまどで炊いたごはんと猪肉を使ったみそ汁で昼食、午後は協議会代表の由利氏によるこれまでの地域づくりの軌跡のプレゼンテーションと、地域づくりの事例として「やねだん」のビデオ鑑賞、その後はマルシオ氏によるピザ焼きワークショップ、そして懇親会という流れだった。

その中で、特に印象深かった由利氏の地域づくりのお話について書いていこうと思う。

【由利氏のお話】


・「地域づくりは人づくりに始まり人づくりに終わる」
・「自分が楽しいと思える地域づくり」
この2点が長年地域づくりに尽力してきた由利氏の経験に裏打ちされた地域づくりの本質だった。優しい語り口の言葉には、それでいて重みがあった。

 前者は地域活動全ての活動の原動力が人であり、若者の減少と高齢者数の増加は地域の持続可能性の危機である。どんなにワクワクするイアデアを出したところで、それを実行していくには人が必要である。自分自身も働き隊として常吉に入って4ヶ月が過ぎるが、「人」の存在は間違いなく様々な活動の原動力であり、現状は多くの地域活動のボトルネックになっていることを、常吉でも痛感している。「こんなことできたら面白いだろうな」と考えても、「じゃあそれは誰がやるんだ」というところでどうしてもその壁が大きく立ちはだかる。そして地域のしがらみといったこともその壁をより高くする。
一方、それを自分が実行していけばいいわけなのだが、自分の任期という現実と、そこに住みつく覚悟もない自分にできることは非常に限られてくる。「この地域のために自分ができることはなんだろう」と考えを巡らす日々。

 後者に関して。字面からは、当たり前のようなことでもあるが、地方、そして限界集落のような場所においては(どこでもそう?)、その危機意識、課題の大きさから「○○しないといけない」といった義務感にかられることもあると思う。もちろん危機意識を持ってやることはそれは1つの活動のモチベーションではあるが、それは長続きしないと思うし、やっぱり「楽しいことは正しいこと」なのだろうなと思う。そして、「楽しいこと」が地域の人たちにとっての「楽しいこと」であった場合に地域づくりが1つできるのだろう。つまり、由利氏の二つの言葉は、それぞれ独立したものではなく、同時に進んでいくものなのだろう。地域づくりは、地域のための多様な活動をしてくれる人材を作っていくことであるが、そういう人材を作っていくためには、作る人が自分の背中で「楽しい」と語れるものであって初めて人が集まってくるのだろう。結局、自分がやって楽しいことと、地域のためになることがある程度シンクロする必要があるわけで、「やるべきこと」と「やりたいこと」のある程度の一致と、それが現実の中でどこまでできるのかというところが地域づくりの方向性を決めていくのだろう。

「やねだん」の鑑賞会を見て思ったのも、やはり「人づくり」という部分と「楽しいこと」の並行でできたのだろうなと思った。例えば、集落の空き家をキレイにしてアーティストの定住を呼びかけたものが記憶に残っている。「地域の活性化は文化の向上」(=やるべきこと)という思いと、集落の空き家に人を入れよう(=やるべきこと)という目的のもと行われた活動であるが、これも、アーティストという特別なスキルをもつ人を集落に「作った」ことであるし、その人たちのアート活動で集落の人を「笑顔にしたい」(=やりたいこと)がうまく地域のやるべきこと(文化向上+空き家解消)にシンクロしたものだった。また、楽しいことのために代表の人が率先して動いて、回りの人を巻き込んでいく(=人づくり?)やり方がとても上手な方人だな、と感じた。巻き込むこともまた「人づくり」なんだろうなと思った。

「楽しいこと=やりたいこと」と仮定すると、由利氏がおっしゃっていた、人が地域で活動する時に「リスクを共有する」という行為も、この二つの言葉の実現に必要なことなんだと思った。つまり、個人が地域で「楽しいこと」をやるときに、それが「やるべきこと」すなわち地域の課題解決とシンクロする部分があるのかどうかをしっかり共有することで、地域づくりに携わる「人を作る」ことができるようになるのだろう。


 由利氏のお話は地域で活動するために(それは働き隊の任期中だけでなく、長期的な面でも)とても勉強になった。まだまだ学んだことは沢山あるけれど(特に懇親会のこと)、時間の都合上ここで勘弁してください。