2012年2月5日日曜日

京都大学地球環境フォーラムに行ってきました。

ブログ継続表明をしてから初投稿です。
初投稿は働き隊として5ヶ月やって得たもんとかの記事にもしようかとも思ったのですが、もう少ししてから投稿できれば、と思います。いつになるやら。


今日は京都大学地球環境フォーラム『「幸福」の価値観と次世代環境人材育成』に行ってみました。まぁ最近よくいわれる「幸せって何だっけ」っていうやつです。



次世代環境人材育成の話は今日はどうでもよくて(頑張ってお話しして下さったのにごめんなさい)、今日は前半部の話が聴きたくて行きました。
前半部のパネラーは3人で、それぞれの立場から幸福の価値観について講演を聴いて、最後にパネルディスカッション、という流れでした。

講演者、タイトルは、
①知恩院で奉職中で「フリースタイルな僧侶たち」代表の池口龍法氏による「日本仏教に求められる社会的役割」
②京都大学こころの未来研究センター准教授の内山由紀子氏による「日本的幸福のあり方と幸福度指標」
③京都大学地球環境学堂教授の松下和夫氏による「GNHと持続可能な発展の政策統合:ブータンの事例から」
でした。

この中で印象深かったものをピックアップして、それについて少しばかり書いていこうと思います。①と②が印象的でした。


①まず、「フリースタイルな僧侶たち」の存在が興味深かった。この団体は、「若手僧侶やクリエイターがコラボし、仏教をわかりやすく伝えていくプロジェクト」だそうで(HP参照)、昨年興味を持ったけど行けなかった「お寺で宇宙学」といった企画もやっている。そういう風に、今は世俗の人たちが感じている敷居の高さを取っ払っていくための活動ってこれから重要になっていくと思います。

というのは、何もこれは仏教に限った話ではなく、自分の関心ごとに限っていえば、例えば今、田舎暮らしや第一次産業、自然環境保全などが見直され始めている世の中の流れからも、もともと関心のあった人たちが参加できるチャンスを広げるという意味でも、今までそういったことに関心のなかった人たちが新しいものの見方を得られたりするチャンスを提供できるという意味でも、きっかけを生み出す力があるからです。

そうした活動の中で、新しいコラボが生まれたりするポテンシャルって結構あるのかなと感じていて、たとえば最近知り合った人に、サイエンスをもっと身近に!といって活動を始めた人もいて、その人と話していて「何かコラボできるといいね」なんて話も出たりもしました。


さて、池口氏は今回お坊さんの立場から仏教を中心としたお話をして下さったのですが、その中で印象的だったのは、「幸福」の捉え方でした。彼はあえて「幸福」という言葉を使わず、「充足」という言葉を使っていました。その話の中で、ブータン前国王の提言が印象深かったので、引用させて頂きます。



―仏教国としては、経済発展が究極目的でないことは、経済基盤が必須であることと同様、自明のことである。仏教国の究極目的として掲げたもの、それがGNH「国民層幸福」である。しかし今考えると、「幸福(happiness)」というのは非常に主観的なもので、個人差がある。だからそれは、政府の方針とはなり得ない。私が意図したことは、むしろ「充足感(contentedness)」である。それは、ある目的に向かって努力する時、そしてそれが達成された時に、誰もが感じることである。この充足感を持てることが、人間に取って最も大切なことである。私が目標としていることは、ブータン国民一人一人が、ブータン人として生きることを誇りに思い、自分の人生に充足感を持つことである。(今枝由郎『ブータン仏教から見た日本仏教』NHKブックス, 2005, p. 181)—



ふむ、確かに、と思いました。最近は幸福という、極めて主観的で曖昧なことに付いてぼんやりもの思いにふけっている時間が増えていたのですが、幸福の必要条件として「充足感」というものがあり、それを追い求めていけばいいんだと、すっと腑に落ちたように感じました。充足感は幸福感に内包されるもので、イメージとして幸福感の9割くらいを占めていて、残り1割くらいは個人間で差のある多様な「幸福感」なのでは。

イメージ


丹後でも、これからどうしようか分からないといった相談をさせてもらったとき、「好きなことをやったらええ」とはよく言われたものですが、その「好きなこと」って結局「充足感の得られること」であって、つまり「目的をもって努力できること」をやったらええ、ということなんだと。
言われてみれば当然なことなのですが、「好きなこと」と言っても何でもやっていい(できる)わけではないと思うし、じゃあ「好きなことって?」と改めて考えると、よく分からないもんなのかなとも思います。そんなとき、こういう風に言葉を解釈できて、少しすっきりした気分です。





②内山氏は社会心理学・文化心理学を専門とし、内閣府における「幸福度に関する研究会」の議論にも参加しておられる方です。
これまでの幸福感についての研究知見から、日本的幸福感や「日本版GNH」の現状についてお話がありました。
現在メディアでもよく言われているけれど、日本社会の閉塞感とった悲観的な話が出ている一方で、『「幸福」とはこうあるべきだ、という価値観が世界において一元化していないだろうか?実際、日本の幸福の中身とはどのようなものなのか?』というのが彼女の問題意識でありました。
講演では、日米比較から日本的幸福感が相対的に浮かび上がってくるもので、そこでは、北米では「良いことが更なる幸福を招く、上昇的幸福(ji et al., 2001)」であったり、「自己価値・自尊心(Uchida et al.,2008; Uchida & Kitayama, 2009)」「自由選択」が幸福感の主な要素であるのに対し、日本では「良いことと悪いことのバランスの重視」や「関係志向」「人並み志向・比較志向(Hitokoto et al., 2008)」が幸福感の要素である傾向があったそうです。
日本では個の幸福感に周囲との関係性が大きな影響を与えているようです。


この研究結果を受けて、「フーンそうなのか。これに合わせて幸福度指標を作れば良いのか」となるのは危険ですよね。この傾向では日本はダメになるな(注目したのは「人並み志向・比較志向」)と思いました。グローバリゼーションの進展によって世の中の変化のスピードはとてつもなく速くなっていく一方で、この傾向ではそこについていけなくなる可能性も否定できないです(人並み志向では変化のスピードは弱くなりますものね)。


このことから、「何をもって幸福と感じるのか」というところも時代によって変化していくもの、いや、変えざるを得なくなるのでは、とも感じました。


ただ、かといって欧米的幸福感が正しい訳ではないし、ここのギャップの調整は大変難しい問題ではあるなとも感じました。日本のように既にある程度開かれている(?)状態で、日本的な幸福を!とだけ突き進んでも置いていかれるだけでしょう。


もちろん、内閣府は「国際比較を視野に入れつつ、一方で日本的な幸福感を検討」をするとしましたし、内山氏も平均値の単純な比較の危険性を訴えてていました。






日本ならではの、信念のある、世界に誇れるGNHを作ってほしいものです。






田舎に信念のヒントがあるような。。






この日を通じて、「今のところは幸福、というよりも充足感が自分にとってしっくりきた」という点と「グローバルな世の中で意味のある、日本的信念のあるGNH」という点について少し考えれたと思います。