2011年12月30日金曜日

生物多様性の保全について

久々の投稿です。タイトルは壮大ですがそんな大したことはありません。

実家に帰って、今日は腰を据えて研究計画に取り組もうとしたものの、もう少し根源的に考えてみたいという衝動があったので、これを書いてみました。
かなり無理矢理感があるので、うーん、といった感じですが。。

俺が思うのは結局生物多様性保全は人間のエゴなんだろうなと思います。

なぜ生物多様性を保全するのか、それについて少し考えてみました。色々矛盾はあると思いますし、まぁ完全なものはできないと分かっています。
批判が入って考えを深めたいな。

以下読みづらいですがどぞー。
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生物多様性、特に希少種について、「なぜ保全をするのか」ということに対して、(現時点での)何らかの答えがあるべきなのだろうか。

里山の生物多様性保全の目的は明確で、それが人間の福利に直接的に繋がるからであるけれど(というより、そもそも里山においては、保全は人間の福利を求めた時の結果でしかない、というのが正しいと思っている)、直接的に人間の福利とは関係ない希少種に対して客観的な答えを見いだすことに意味はあるのだろうか。「冗長性仮説」や「リベット仮説」もあり、確かにそうなのだろうけれど、いまいち腑に落ちない。
そのような希少種を保全する目的は、よくあるのが「その生物が(あるいは、もっと広く、植物や動物が)好きだから」という、ある意味感情的なものでもある。それ以外のものはあるのだろうか。ちょっと考察。2つ視点を持ってみた。(あとで結局1つに集約されます笑)


1つの視点は、やっぱりヒトのため、という視点。
希少種が希少であるゆえんは、その植物自体が乱獲等により数を減らしている場合や、そもそもの生息環境自体が劣化・減少している場合がある。前者はその持続可能性が(一部の)ヒトの満足を満たすという点が保全の理由になる。後者の場合、希少種は失われていく環境を指標するものであるが、そう考えるとその環境が長期的に見てもヒトにとって必要かどうか(何を持って必要とするかは議論しないといけない)が大きな焦点になるのではないか。


もう1つの視点は「進化」の視点かと。
現在の生物多様性はもとは1つの生命から何十億年というタイムスケールの中での自然環境と生命の相互作用(適応と淘汰)の結果であり、その歴史そのものに価値がある、という考え方。(参考:「保全生態学入門」より)
これは一見ヒトが生きるためとは関係がないように見えるけれど、しかしその価値を評価するのもヒトであるし、なぜそこに価値があるという判断を下すのか、ということについては、ヒトが理性(=感覚的能力に対して、概念的に思考する能力。)を持つ生物であるからに他ならない。

ヒトは生命の維持と子孫を残すという意味での「生きる」こと以上のものを求める存在だと思う。これが、ことをややこしくしている。笑
ヒトにとって今や「生きる」とは「生命の維持+子孫を残す」と「+α」が必要で、それは趣味であったり、自己実現(何かに対するやりがい?)のための活動であったり、芸術的なものを見て感動したりすることであったりするけれど、その+αの部分が理性活動だと思う。その中に「進化」という現象に対して抱く重みのようなものを感じることが、そのような判断をもたらすのではないか。人為的活動によって生物多様性が失われることは、その進化の歴史を切ってしまうことに繋がる。

自然のなかでの環境の変化により淘汰されることと、人間活動により絶滅に追いやられることとは、「(広い意味での)環境変化に適応できなかったものは絶滅する」、逆に言えば「適応できたものは生き残る」という点では同じかもしれないが、その2つの明確な違いは「理性によって防げるか防げないか」だと思う。

進化の歴史をヒトがなくしてしまうということに対して疑問や責任を抱くということは、理性が働くことであり、それは理性全体の中での一部でしかないのだけれど、保全をすることはその理性を満たすこと、つまり先述の「+α」を満たすことであるのではないか。


ヒトが生きるために環境を改変する生物である以上、その環境での種の絶滅があって当然といえば当然なのだが、今その改変がヒトという種の保全への危機と、歴史を感じさせる理性を働かせている。

こうやって考えを書いていくと、結局、なぜ生物多様性を保全するのか、という問いは『ヒトがヒトとして「生きて」いくため』に集約されるのではないか。

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やっぱエゴですねー笑 でもそれでいいんじゃない?だってヒトですもん。
ただ、「生きる」ためには節度を守りましょうよ、という話なんでしょうね。

なーんて考えてました。ややこしや。
良いお年を—。

p.s.研修地見学会のレポートは近日中にアップします。

2011年11月11日金曜日

京丹後働き隊全員集合第2弾、奥大野研修地見学会。
去る11月8日、奥大野にて、「自然耕房あおき」の青木さんのお話を聞くことと、農地で農作業体験、そして晩には、青木さんの生い立ち、地域のこと、そして京丹後の各地域の働き隊受け入れ先の方々をはじめとして、様々な方々を集めての議論(カタリバ)を行った。

いろんな話を聞くことができて、全部書くと分量がえらいことになるので、各コーナーで一番印象に残ったことを、ひと言ふた言書いて、あとはタイトルのことを書きます。

【青木さんの話@小さな食卓】
リーダーとは…全員の意見を聞き出す。それを集約する。方向を決める。ケツは全部ふく。これができる人は相当かっこいい。

【農作業体験、土を見る@農場】
山積みにされた木材チップ。花崗岩質の地質からは想像もできない豊かな土を作り出すもと。土は真っ黒だった。

小さな食卓でのシェフの方から聞いた青木さんのことと、土にこだわる姿を見て、自分の中の青木さんのイメージは「職人」になった。

【イケメンしんちゃんのカタリバ】
今までの青木さんの人生と地域のこと。地域での一生の付き合いだからこそ衝突を避ける(ガス抜きとしての悪口)田舎の本質。常吉でも感じている歯痒さと、半年じゃ本質的な問題の解決は相当困難そうだということを考えた。ただ、きっかけは与えられるような気はする。
青木さんがここまでやってこられる間に、相当な苦労があり、それに耐えるだけの並ならぬ忍耐力の断片を知ることができた。

【親】
ここから研修内で一番印象に残ったこと。
各地域の方々が集まって、議論の場。各働き隊が自己紹介をした。



しばらくして、鋭い指摘が出た。
「自分がどんな存在なのかを説明する時に、自分の人間には親の生き様が少なからず影響しているはずなのに、君たちの説明には親の存在が抜けている。」



自分は、それに対してすぐに答えが出てこなかった。

自分の人間形成に親は絶対関わっている、それは間違いないのだけれど、具体的にどこのどんな部分に親の存在が影響したのか、あまり考えたことはなかった。




自分にとっての親とは?




よく人は「親は自分を生んでくれた。私は親のことを尊敬している」という。
自分を産み、ここまで育ててくれた、応援してくれたかけがえのない存在で、感謝している。ただ、それ以上のものを感じていない、といったら語弊があるかもしれないが、はて、自分は親のことを尊敬しているかといったら、正直そこまでの感覚はないのが実情である。

尊敬という感覚の欠如。なぜ欠如しているのか(そもそも欠如していたらいけないのかという話もあるけれど)。
それは親のことを知らないから、というのが自分の中の答えだった。
親の生き様を見て、初めて尊敬の念が出てくるのだろうか。
親の生き様…、そんなの親から聞いたことない。ただ、明確にではないが感じてはいたはずで、いままでそれを、意識して思い返したりするようなことをしてこなかった。

そんなことを、これを書くまで考えていた。



生い立ちをさかのぼってみた。下書きの段階では恥ずかしすぎて、あるいはダメ人間過ぎて人に見せられないこともいろいろ書いた。そして、そこに表れる親の存在を思い返してみた。


そうして自分の人生と親の関係を見てみると、ほんと好きなようにやらせてくれているなと感じる。例えば、大学でラクロス部に入って、下宿したいと言った時(当時自宅から通っていて、1時間半の通学時間。練習は朝7時からなので、通うのは相当負担だった。)も猛反対されたけれど、いざやりだすと本当に助けてくれたし、やっぱり自分がやるって決めたことに対して応援してくれている。これだけじゃなく、働き隊で丹後で活動することに対しても応援してもらっている。だから、これからどんな人生になろうとも、味方であり続けてくれる存在は親しかいないのだろう。
ただ、こういう風に自分を育ててくれた、親がどんな人生(深い質の部分)を歩んできたのか、恥ずかしいことに、あまり知らない。


親が自分をどんな思いで育てようとしたのか、そうなった親の人生の背景は何なのか。


そういった意味で、自分は親のこと全然知らないのかも、と気づいた。
そこを知って、理解して初めて、自分に取っての親の存在がどんなものか、少しは分かるような気がする。



実家に帰ったら、丹後のうまい酒とうまい肴をあてに、親と話してみたいと思った。


2011年11月9日水曜日

田舎に入ってからの考えの変化

今回は常吉の話ではありません。

ここ丹後に来て、見て感じて、多くの人に出会って話を聞いて、少しずつ考えが変わってきたことを10月の記事にしたいと思います。これは10月26〜27日にあった梅本農場での働き隊研修のレポートとして梅本さんにも読んで頂きます。(遅い(汗))


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今休学中(とはいっても研究はぽつぽつでも進めていかにゃならん)で、大学では生物多様性保全についてのとある研究をしようと考えている。自分は生き物、特に人里に近い環境の生き物が好きで、農学部の森林科学科に入った。学年が進むにつれて興味は生物多様性、生態学に向かい、そこでは「保全」というものが目的になっている。

「〜の保全を目的としてこの研究を行う。」
「里山環境の保全のためには、かくかくしかじかの管理が必要である。」


働き隊として田舎に入ると、「はて、保全とかってそんな声高に叫ぶものなのか?保全が目的?」と、少し疑問に感じたりするようになった。
もちろん里山環境の危機は現場にいる以上すごく感じているし、なんとかしたいと思う。

ただ、何かが違う。



9月のエントリでは原木シイタケの話で、生業が生態系に組み込まれていることへの感動を書きました。



10月は、同じ丹後で活動されている働き隊の方の受け入れ先である、梅本農場で梅本さんのお話を聞く機会がありました。



そのお話は印象的でした。「食の安全」へのこだわりもそうだったんですが、自分としてはむしろ、農業の本来あるべき姿を見、それを超えてヒトという種の本来のあり方に挑戦されている(と個人的に解釈しました)姿に感銘を受けたのと同時に、さっきの疑問も自分の中で1つの結論にたどり着いたように感じました。


キーワードは「いのち」「巡る」でした。


今までこの言葉を何度となく聞いてきました。頭では分かっていたけれども、実感ではない。教科書や授業で炭素や窒素の循環も少し勉強しました。そうです、確かにそうです。けれど実感が伴わない。


梅本さんとこで1日体験作業しました。自然農法に挑戦されている梅本さんは山の落ち葉と土壌を集めたりもしています。先日はそれを体験してきました。内容は簡単に書きます。





山(落葉広葉樹林)から落ち葉と土壌を集め、それを畑に撒いて土を作る作業。数年かけて土から作るのです。
そのあとは、その作業の意味とともに"いのちをいただく""いのちの循環"のお話と、その考えに至った背景、「オーガニックスタンダード」への思いを聞きました。
そして、前日に自分たちの手で奪った鴨の命をいただきました。



1日作業を体験しただけで全てを理解できる訳はないのですが、やはり百聞は一見にしかず。作業を通じて感じたことと人の話を直に聞くことで実感というものもでてくるようです。



そして、自分の中のさっきのもやもやは整理され、結論はこうなりました。ここからは、ですます調でなくなります(ですます、をつけるのがめんどくさくなりました)。

やっぱ保全は結果であって目的じゃないなぁ、と思った。
結局、目的はヒトという一生物が持続可能であるためなんだと。
「山が荒れているから手入れをして保全しないといけない。」…「荒れている」という価値判断は人間のものであり、その自然自身は、ただ全体のプロセスの1断片でしかないのだ。
結局、ヒトが持続可能であるために、どういう環境を望んでいるのか。それなんだと思う。
ヒトが生態系の頂点だから保全する責務があるとか、そんなのではなく、シンプルに一生物種として存続したいから。それでいいじゃないか、ヒトだもの。
じゃあそのためには何を大切にしなきゃいけないのか。
というところで、「いのち」「巡る」という言葉が意味を持ってくるのだと。個々の生物や無機的な自然環境を大切にするのも大事なんでしょうが、重要なのはその「系」、即ち繋がりであって、それを観念的に最も分かりやすくつなげる存在が「いのち」というワードだった。
そしてそれをもっとも身近に感じられる行為が、「食」なのだ。"いのちの循環"や"いのちをいただく"といった話で、「系」を、自分を支える生態系のスケールを、感じてもらう。
そしてこれからの時代、ヒトの持続可能性も危うい状況で、そういった教育が必要になってくるんだと。
生物多様性なんて話も本質はいのちの繋がりなんだと。自分という個を支える生物と、その生物を支える生物、生態系…

で、その話が観念論で終わらないためにも、(保全)生態学っていう科学がある。ただ、研究である以上、人間の持続可能性という目的は大きすぎるし、そもそも社会の意思決定の基礎をになう分野である以上、本来の結果である「保全」は直接目的になる。


こうやって考えていたら、自分は職業での研究者にはなれないだろうなと思った。笑
もともとあまりなろうとも考えていなかったけれど、こういう考えになった以上、自分は実践者になりたいのかもしれない。


そして、「自然農法」に対して個人的に感じたことは、安全とか安心とか、そういうものではなく、生態系に組み込まれた人間の1つの営みなのだと解釈した。安全、安心もまた結果であり、副次的な恩恵なんじゃないか。

もちろん、安全、安心な食べ物を求める社会のニーズがあって、それに応えうる食を生産する手段のひとつが自然農法であるし、とてもすばらしいことではあるが、やっぱり自分が大事にしたいところは、いのちの循環の中で生きる暮らし方、なのであった。

そんな暮らしの中で、大切なひとみんなに「おいしいね」とか、「あんたの作った野菜は安心できる」とか言ってもらえたら、とっても嬉しいのだろうな、と思った。






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ここまでが研修直後に思ったレポート的なものです。

ここからは余談で、ですます調に戻ります。

「少しでも多くの人に、安全・安心な食べ物を提供したい」と、ミッションを持って社会に強くメッセージを発信する梅本さん。
「生態系のサイクルに組み込まれた中での暮らしをしたい」という自分。

見据えている対象が、社会で困っている多くの人と、自分自身とその周りの人。

うーむ、幸せにしたい対象の規模が違いますね。
あ、自分は別に周りの人がどうなってもいいと思っている訳ではなくて、ただ、自分自身とその周りが幸せであることがはじめの一歩なんじゃないかと思っているんです。


いつかそういう風に、幸せにしたいと強く願う対象が人生とともに広がっていくものなんでしょうか??


2011年10月6日木曜日

祭り、祈り、感謝、意味、価値

常吉では今週末8、9が秋祭りです。

自分も神輿担ぎに参加します。がっさ重いいうことです。筋肉痛必至です。



ここでは地域の多くの人が太刀振りや神輿担ぎに参加し、どんどん少なくなっているものの、小学生から高校生までの子どもたちが練習しています。
その中で、一人とても熱心に太刀振りを練習している高校生がいて、ぜひ一度話をしてみたいと思っていたのですが、残念なことに今日見に行った時には練習が終わっていてお預けになってしまいました。


まことに恥ずかしいことなんですが、自分がその年の時には絶対こんな地域行事とかやりたくなかっただろうな、めんどくさいと思っていました。彼らはどんな思いで祭りに参加しているのか、気になるところです。かつての自分のように、めんどくさいなと思っているのだろうか、それとも毎年やってるから特に何も感じないのか、地域のつながりが深まるからと思ってやっているのか。


今くらいの年になって、ようやく地域行事の大切さに気づき始めたんですが、その理由は、もちろん地域住民同士のつながりを大事にする上で重要ということもあるのですが、自分はそれに加えて、祭りの持つ意味、つまりその土地の神様に対してどのようなことを願い、あるいは感謝するのか、踊りにはどんな意味があるのか、そして、それが発生した自然環境的な背景はどんなものがあるのだろうか…、そんなストーリーに興味があったりします。
こういう風に思うようになったのは、やはり大学でランドスケープ・エコロジーを入門程度にも学んだことが大きなバックグラウンドであるように感じます。

ランドスケープを考える上で、ヒトと自然環境の相互作用という要素は避けては通れない事象です。ヒトの土地利用がどのように生物に影響を及ぼすのか、人間活動と生物多様性保全(?)の最適解とは、を探求するのがランドスケープ・エコロジーの主要な観点です。
ヒトと自然の相互作用によって形成される景観(=ランドスケープ)が文化的景観であり、それは農業や林業、宗教や祭事、など、「文化」とひとくくりにされる人間活動により攪乱され、またスケールを変えると平衡状態にある景観なのです。

文化的景観は、そのような相互作用の結果が空間上にパターンとして表出したもので、そこには必ず歴史という時間軸を含んだプロセスが、因果のあるストーリーが存在します。


どんな自然環境が人間の活動に影響を及ぼし、それによってどんな文化が生まれ、それがどういう形で自然環境に影響を及ぼし、結果どういう状態で平衡状態(文化的景観)に落ち着くのだろう。
常吉だけでなく、隣の奥大野とルーツは同じなのだろうか、同じとしたらなぜ地域で分かれたのか、違うならばどういうところが違うのか。


百貨店に来るおばあちゃんに聞いても祭りの言い伝えもよく分からないという。誰か知っている人おらんかなぁ。


地図で見たら、常吉は丹後半島の竹野川流域の源流部マピオン。3Dで見てもらったら分かりやすい)だから、そこには山水が流れます。山水には生活排水が混じらないから、栄養塩が平野部より少なめだが、「きれいな」水で育つためおいしいとされます(きれいとか汚いとかは人間から見ての表現なのであえて「」で表現しています)。やはりそういう廃水が流れないところで取られる農作物には清らかなイメージがありますね。
そういうお米が取れることに踊りや太刀振りと言った行動で感謝を表すのだろうか、それともそういう環境でこれから取れるであろう農作物が豊作であることを願うものなのか、その辺はおじいさんおばあさんに聞いていかないと分からないですねっていうお話です。



経験でしか分からない事象がある。そんな文化として続く活動が、生態学的に見ればこういう重要な意味があって、っていう科学的な裏付けを与える仕事もかっこいい。それは地域の人にとっても新たに気づきでもある。
それは「お金にならない」価値。

お祭りなんて、経済的に見たらお寿司やオードブルの注文がいっぱい来てちょっと儲かるくらいで、かったるい、冗長なもんだと思うのが都会人のほとんどだと思います(偏見)。経済的合理性を考えるとそうなってしまいます。
しかし、長年その土地に根ざした文化に、これからの社会を考えるヒントが隠れているのではないかと思います。
経済は大変重要な要素なんですが、それが全てなんかじゃない。自然資本を無限にある所得と考え、経済性を優先した活動が持続不可能なものなんていうのは、おそらく皆さん頭じゃ分かっているけれど、じゃあどうすればいいんだ、貨幣経済じゃ測れないものの価値をどう考えればいいんだ、という問題は本当に難しいと思います。地域で暮らしていると、そんなことを常々考えてしまいます。

すばらしい価値は沢山ある。しかしそれがお金になるのか、とここの人によく言われます。
そうなんです。今はその通りなんです。
でもお金にならないからそこで離れるのはもったいないと思う。
具体的にどうすればいいのか、悩みながらも、こうやって悩める環境にいれるのは丹後に来たからで、来てよかったとつくづく思える毎日です。



全然具体的な話じゃなくてすいませんね。



で、最後にまとめると、文化を知り地域を知ると同時に、その背景となる自然環境に目を向け、そのプロセスをふっと考えてみる、そんな生活も素敵じゃないですか?そうした文化、知恵の価値を見える化して、必ずしもお金・事業という形ではなくとも、地域に還元するのが僕(たち)のミッションですよね、っていうことを言いたい訳です。

駄文!笑


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常吉村営百貨店 住みたい「村」、住み続けたい「村」
http://tsuneyoshi.tango.gr.jp/

2011年10月2日日曜日

シイタケで山を保つ


コスモスがきれいに咲いています。10月になってしまいましたが、9月記事です。

初記事にして、これよりいいテーマはなかなか見つからないんじゃないかと思ってたりします。
書くスキルはほとんどないので、もう少し書くのが巧くなってから書きたいところなのですが、9月で最も感動したお話の1つなので、これはぜひ記事にしたいと思い、書くことにします。



テーマは、「原木シイタケ栽培に見る、洗練されたライフスタイル」とでもしておきます。
「洗練された」とは、「え、なに?シイタケ栽培して贅沢な暮らしができるの?」じゃありませんよもちろん。ここでいう「洗練された」とは、無駄のない、それでいて自然の恵みを最大限活かしたライフスタイル。すなわち、ヒトが生態系のサイクルになじんだ営みを、原木シイタケ栽培に見ることができました。

ちなみに、原木栽培は、こちらを見て頂ければだいたい分かるかと思います。



お話ししてくださったのは、常吉の「何でも屋」こと、今田さん。彼は農家もしながら、自伐で森から木を切り出している方です。木はもっぱらシイタケ栽培用のほだ木です。

常吉で木を切っているのは今田さんくらいです。彼が現存する常吉最後の里山林業家かもしれません。



———山からコナラの木を切ってくる。
木を1mくらいに切って、それを300〜400本切ってくる。菌打ちして1年半くらい日光のあたらないところに寝かしておくんや。そうすると樹皮と材の間に菌の層が広がって、綺麗なオレンジ色になる。
打ったところから生えると思っている人が多いが、それは違う。菌の層が広がって、一番出やすそうなところをシイタケは選んどる。菌打ちっていうのは、菌が樹皮と材の間にまんべんなく広がるような間隔で打つんや。


1年半くらい経ったものが一番取れやすい。年数が経つとだんだん菌の元気もなくなってくるんやけれど。
少し生えてくると、1週間ごとにトラック1台分くらいずつ山からおろしてきて、水に1日つける。そうすると上げた後よく生えてくる。1週間ごとに小分けにして運んでくるというのがミソで、そうすることでいっぺんに生えてこずに、順番に生えてくる。そうすると、安定して出荷して収入を得ることができるし、ある時期に大量に作って余ることも防ぐことができる。


ほだ木が組まれ、ミョウガが生い茂る今田さん家の裏
3年〜5年もしてくると、必ずそこにカブトムシがやってくる。
今木を崩したら絶対出てくるね。ほんで、そういうところでは腐葉土ができて勝手にいい土ができる。
またミョウガも生えてくるのだが、腐葉土だからよく育ってくれる。ミョウガはシカにめちゃくちゃ食べられて、今自然に生えとるのがほとんどない。けど、ここだと木が組まれていることでシカの食害からミョウガを守ることもできる。シカははみ出したミョウガは食べられるけれど、中のものは食べることができない。
だから百貨店に俺だけミョウガを持って来れる(笑)



今田さん家の裏の柿の木には熊の爪痕が残る
山の木を切るということは、野生動物との距離を保つこと。
木を切ることで、冬には雪が林床に積もる。餌も減る。すると野生動物は自然淘汰にあって勝手に数を減らす。餌もなく、冬の寒さに耐えられないから。それでほどよい数になる。
今人の手が入らなくなったところは、木が沢山生えて、餌は比較的豊富にあるし、林床は雪が入ってこないから生き延びることができる。
やっぱりそういう状態だと、里に入って来れる獣も増えるし、今そういう状態になっている。



人の土地の樹を切らしてくれと頼んだら、たいてい快くオッケーしてくれる。やっぱりみんな自分の山の整備をしてほしいと思っているけど、人手がないんや。
昔は山に区の山、町の山があった。共有地として、誰が木を切ってもよかった。


今年は公民館活動として、数十年ぶりに木を切りましょうと言ったわ。
15人くらいで行ったものの、チェーンソーを使える人が5人もいない。他は手ノコで切るという…。そういう技術を持っている人が少なくなっている。また、ホームセンターでチェーンソーを買ってくる人もいる。それははじめのうちは良く切れるが、釘かなにかにあたって刃が欠けるととたんに切れなくなる。そういうときは刃を研いでまた使えるようにするんだが、多くの人はその研ぎ方を知らない。そして、「このくらいが一番よく切れるかな」っていう感覚を知っている人も少ない。そういう感覚は長年の経験が必要やからね。

俺がいなくなると、木を切れる人がいなくなるなぁ。———



と、シイタケ栽培のプロセスから、その裏に潜む山の手入れ、地域活動のことも話してくださった今田さん。

シイタケを介して、土が育ち、植物が育ち、生き物が育ち、山が育つ。その恵みのおすそ分けを頂き、自分たちの生活の糧にする。百貨店に収穫物を売りにいき、それが売れる。売れると、それは喜びとなり、喜びは生きがいへと変わり、もっと作りたいと精を出す。
そしてまた木を切りにいく…。

こういう話は、森林関係ではよくある話です。ただ、そういう話から読み取れる、自然とヒトのプロセス、ランドスケープスケールを変えて見ることはもっと一般的に知られてほしいし、常吉にもこういう視点が今後浸透していけばいいと思います。





こういう視点で見ると、常吉百貨店も生態系の流れに乗っているように感じられないでしょうか。百貨店は地域に生きがいを生み出す場所。それが山を(ヒトのために)守るインセンティブになる可能性がここに垣間見れた気がします。


常吉の「動的平衡」モデルを今想像しました。
動的平衡とは、生態学で使われる時には、ミクロに見れば常に動いているが、マクロに見るとそれらは全体として平衡を保っているという考えのことです。

例えば、山などで考えて頂けると分かるのですが、ミクロに見ると、そこでは植物の芽が出ていたり、あるいは老木が倒れたり、と絶えず環境は変わっている訳です。しかし、よりマクロに景観単位で見てみると、そのような場所は、位置を変えつつも全体としては木が生え、ギャップ(木が倒れるなどして森にできたパッチ上空間)があり、実生が生える状態というのは定常的に存在するわけです。


常吉百貨店ははまさにそのモデルを目指しているのではないでしょうか。
ミクロに見てみると、そこでは大木さんをはじめとする多くの方が百貨店のためにアクションを起こし、それらは時に成功し、時に失敗もして絶えず環境は変わっていきます。
しかし、もうスケール変えて百貨店を見れば、それらがあることで持続可能な状態を作り出していると言えるのではないかと、ふと考えました。


そんな秋の夜長。今日から急に寒くなってきて、なかなか厳しゅうございます。
まだまだ寒くなるかと思うと閉口です。

では。次回はもう少し巧く書けたらなと思います。


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常吉村営百貨店 住みたい「村」、住み続けたい「村」


2011年9月21日水曜日

このブログについて

このブログは、自分が「田舎で働き隊」でインターンを行う約5ヶ月間限定のブログにしようと思っています。


また、このブログでは、常吉という地域を、「自分」というフィルターを通して見た姿を綴っていこうかと考えています。
「自分」というフィルターは、ここでは都市部出身および、未熟ながらも生態学を勉強している視点からのフィルターになると思います。


自分を通した常吉を、ブログという形で「見える化」することにより、今までとは違った常吉の見方が得られ、地域の「良さ」が広がるのではないか、またそこから新たな活性化の切り口が見つかればいいなというのがねらいでもあります。

短い間ですが、どうぞよろしゅう願います。

自己紹介

皆さん初めまして。kenseと申します。

自己紹介をば。
現在大学院修士1回生。ランドスケープをキーワードに人と自然の関わり方についてぼちぼち研究しています。
後期から休学して、2011年8月23日から2012年1月23日まで、農林水産省・農村活性化人材育成派遣支援モデル事業「田舎で働き隊」として京都府京丹後市常吉という地域でインターン中してました。




現在のキーワードは、
ランドスケープ/景観/保全/生態学/生物多様性/農村/第一次産業/コミュニティ/アウトドア/自転車/遊び


まじめなことも好きですが、もっとゆるく、肩肘張らずに生きていこうと思います。


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常吉という地域は、常吉村営百貨店という、全国でも珍しい住民自らが運営する地域の商店です。市町村合併に伴って、地域の重要な買い物スペースであったJA支所がなくなることが決定したのに対し、自分たちでそういう場所を作ったらいいじゃないか、という気概のもとにできた場所です。


そこでは高齢化が進む農村地において顕在化する、いわゆる「買い物難民」にとっても重要な買い物スペースであると同時に、地域の住民が気軽に寄っておしゃべりをするようなコミュニティスペースでもあります。


「村営」という表現は、ここが地域住民による運営であるということを意味し(ここは行政区域での「村」ではない)、「百貨店」という表現は、「何でもあるから百貨店」というコンセプトのもと生活に必要なものを取り揃えているという意味です。


「農業」と「暮らし」と「福祉」をコンセプトとし、観光客をがんがん呼び込んで活性化をしよう、というのではなく、地域の住民が自分たちのコミュニティの中だけでもやっていけるようなモデルを目指しています。


農ある暮らし体験 常吉村営百貨店 はこちら
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そんな地域に、生態学を勉強している自分がなぜ飛び込んだのか。




僕が生態学を勉強し始めたのは、「人と自然の適度な関係ってどんなのだろう?」という問いに興味があったためです。もともと生き物が好きだったので、大学は森林科学科に入ったのですが、やっていくうちに生物多様性という概念に出会い、里山という人が生態系のサイクルにとけ込んだ空間に出会い、そこの多様な土地利用が織りなすランドスケープのパターンとそのプロセスのダイナミズムに出会い、そうした空間が持続可能であるためには自分はどのようなことができるのだろう、と考えるようになりました。


1つにはそうした空間が「人間にとって有益な」生態系サービス(※)を享受できるために自然環境を保全していくことが考えられると思います。
(※)生態系サービス:生物多様性はそれ自体も価値を有していますが、多様な生物に支えられた生態系は、私たち人類に多大な利益をもたらしています。①供給サービス(食糧、水など)②調整サービス(気候緩和、洪水調整など)③文化的サービス(地域固有文化、宗教など)④基盤サービス(①〜③を支えるサービス。光合成による酸素合成、土壌の形成など)  図で見る環境/循環白書 環境省


しかし、一方里山のような環境は人間の(かつての)生業(農業や林業(水産業))による中規模攪乱なくては存続し得ない環境です。
そうした生業がしっかり成り立つためには、(もちろん行政や政治による第一次産業に資する役割は大事なのですが)まずはそこに暮らす人々の暮らしが成り立つことが重要なのではないかと考えるようになりました。ここでいう「暮らしが成り立つ」とは、経済的にその地域が自立して活き活きと暮らしていけことがより大事なのではないかと考えました。




そうしたことから、気づいたら常吉にいました。簡単に言うとこんな感じです。


常吉の地域づくりの最前線におられる方々は皆一生懸命で、本気で地域を魅力的なものにしようとしている。そんな姿に活力をもらいながら、微力ながら(気持ち的には大きく)地域の元気に貢献できたと考えています。


そんな感じです。よろしくお願いします。


Twitterでもつぶやいていますよろしくです。






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