2012年1月28日土曜日

ご挨拶

1月23日をもちまして働き隊の研修が終了しました。
常吉の人たちや働き隊の人たち、そしてこの事業に関わってきた多くの人たちと出会えたことは大きな財産です。

都会だろうと、田舎だろうと、「暮らしやすさ」というものは人との繋がりであると思うようになりました。丹後という土地は5ヶ月間という短い期間でありながら、クリーンな部分もダーティな部分も含めて大変濃密な人間関係の中で活動をさせてもらいました。

そうしているうちに、丹後という土地には愛着を持ちましたし、これからも携わっていきたいと思います。実は、既に何ヶ月か先の飲み会に呼ばれたりもしました。笑

ポテンシャルの高い自然環境、そこに暮らす人々のコミュニティ、そうしたなかで生産される農林水産物。丹後には大きな可能性があると感じ、ここの未来を作っていけたらとも今は感じます。これからの人との出会いで自分がどう変化するのかは未知ですが、ここの縁脈を次につなげていきたいと思っています。

働き隊の期間中では関われなかった場所や人のところにも尋ねてみたいですし、期間中では見えなかったことも見えるようになりたいです。そのために、一度丹後を離れるこの機会がとても重要なフェーズになるのではないかと思います。

今、こうやって文章を書きながら、これからどうやって残りの休学期間を過ごそうかと考えを巡らせていましたが、この休学期間を含めて、残りの学生生活(ひょっとしたらその先しばらくも)は「丹後(を自分の出発点とした、日本や世界)の未来を作っていくための準備期間」に位置づけてみてもおもしろいなと思います。
ではどんな準備期間なのか。それを規定するためには、自分の生き方を決めなければなりませんね。まだまだじっくり時間をかけて考えていかなければならないことなのですが、やはりキーワードは「里山」「系への意識」「次の世代へ」をベースとした生き方だったりするのかなと。
これから世界がどうなっていくのかはじっと見極めて適切な行動をとっていかなければならない訳ですが、少なくとも今は時代の転換期でもあるとはぼんやりとでも感じますし、これからは人口、エネルギー、経済について自身はもっと知識を貯えていかなければならないと思います。それに気付けたのは丹後に来れたからかも、とも思います。どれだけ技術が発展しようとも、資源制約型の社会になることは間違いないとは思うので、その中で今の当たり前の暮らしができるのか、この恵まれた生活は本質的にどこから来たものなのか、この辺りは見当をつけておきたいと思います。

話は変わって、
当初、このブログは働き隊の研修期間限定でやろうと思ったのですが、ぼちぼちながら、丹後以外のことも、色々とアウトプットしていかないと自分も前には進めないのだろうなという思いがあります。
それは必ずしもブログというツールを使う必要はないのですが、せっかく作ったのに閉鎖してしまうのももったいないですし、bloggerのシンプルなインターフェイスも気に入りましたし、今まで読んでくれていた数少ない人たちにも「自分今こんなこと思ってます」「考え整理してみました」なんてSNSよりも長文投稿が気軽にできるのも少し気持ちが楽かな、なんて思ったりもして、このままぼちぼち続けていこうかなと思います。

ではでは、当初は5行くらいで終わらせようと思っていたのですがずるずるといっちゃいました。これからもよろしくお願いします。

2012年1月4日水曜日

人づくりに始まり人づくりに終わる

今更ですが、五十河レポートアップ!!

【見学会内容】
小町の舎見学、民家苑での薪割り体験、民家清掃後かまどで炊いたごはんと猪肉を使ったみそ汁で昼食、午後は協議会代表の由利氏によるこれまでの地域づくりの軌跡のプレゼンテーションと、地域づくりの事例として「やねだん」のビデオ鑑賞、その後はマルシオ氏によるピザ焼きワークショップ、そして懇親会という流れだった。

その中で、特に印象深かった由利氏の地域づくりのお話について書いていこうと思う。

【由利氏のお話】


・「地域づくりは人づくりに始まり人づくりに終わる」
・「自分が楽しいと思える地域づくり」
この2点が長年地域づくりに尽力してきた由利氏の経験に裏打ちされた地域づくりの本質だった。優しい語り口の言葉には、それでいて重みがあった。

 前者は地域活動全ての活動の原動力が人であり、若者の減少と高齢者数の増加は地域の持続可能性の危機である。どんなにワクワクするイアデアを出したところで、それを実行していくには人が必要である。自分自身も働き隊として常吉に入って4ヶ月が過ぎるが、「人」の存在は間違いなく様々な活動の原動力であり、現状は多くの地域活動のボトルネックになっていることを、常吉でも痛感している。「こんなことできたら面白いだろうな」と考えても、「じゃあそれは誰がやるんだ」というところでどうしてもその壁が大きく立ちはだかる。そして地域のしがらみといったこともその壁をより高くする。
一方、それを自分が実行していけばいいわけなのだが、自分の任期という現実と、そこに住みつく覚悟もない自分にできることは非常に限られてくる。「この地域のために自分ができることはなんだろう」と考えを巡らす日々。

 後者に関して。字面からは、当たり前のようなことでもあるが、地方、そして限界集落のような場所においては(どこでもそう?)、その危機意識、課題の大きさから「○○しないといけない」といった義務感にかられることもあると思う。もちろん危機意識を持ってやることはそれは1つの活動のモチベーションではあるが、それは長続きしないと思うし、やっぱり「楽しいことは正しいこと」なのだろうなと思う。そして、「楽しいこと」が地域の人たちにとっての「楽しいこと」であった場合に地域づくりが1つできるのだろう。つまり、由利氏の二つの言葉は、それぞれ独立したものではなく、同時に進んでいくものなのだろう。地域づくりは、地域のための多様な活動をしてくれる人材を作っていくことであるが、そういう人材を作っていくためには、作る人が自分の背中で「楽しい」と語れるものであって初めて人が集まってくるのだろう。結局、自分がやって楽しいことと、地域のためになることがある程度シンクロする必要があるわけで、「やるべきこと」と「やりたいこと」のある程度の一致と、それが現実の中でどこまでできるのかというところが地域づくりの方向性を決めていくのだろう。

「やねだん」の鑑賞会を見て思ったのも、やはり「人づくり」という部分と「楽しいこと」の並行でできたのだろうなと思った。例えば、集落の空き家をキレイにしてアーティストの定住を呼びかけたものが記憶に残っている。「地域の活性化は文化の向上」(=やるべきこと)という思いと、集落の空き家に人を入れよう(=やるべきこと)という目的のもと行われた活動であるが、これも、アーティストという特別なスキルをもつ人を集落に「作った」ことであるし、その人たちのアート活動で集落の人を「笑顔にしたい」(=やりたいこと)がうまく地域のやるべきこと(文化向上+空き家解消)にシンクロしたものだった。また、楽しいことのために代表の人が率先して動いて、回りの人を巻き込んでいく(=人づくり?)やり方がとても上手な方人だな、と感じた。巻き込むこともまた「人づくり」なんだろうなと思った。

「楽しいこと=やりたいこと」と仮定すると、由利氏がおっしゃっていた、人が地域で活動する時に「リスクを共有する」という行為も、この二つの言葉の実現に必要なことなんだと思った。つまり、個人が地域で「楽しいこと」をやるときに、それが「やるべきこと」すなわち地域の課題解決とシンクロする部分があるのかどうかをしっかり共有することで、地域づくりに携わる「人を作る」ことができるようになるのだろう。


 由利氏のお話は地域で活動するために(それは働き隊の任期中だけでなく、長期的な面でも)とても勉強になった。まだまだ学んだことは沢山あるけれど(特に懇親会のこと)、時間の都合上ここで勘弁してください。