去る11月8日、奥大野にて、「自然耕房あおき」の青木さんのお話を聞くことと、農地で農作業体験、そして晩には、青木さんの生い立ち、地域のこと、そして京丹後の各地域の働き隊受け入れ先の方々をはじめとして、様々な方々を集めての議論(カタリバ)を行った。
いろんな話を聞くことができて、全部書くと分量がえらいことになるので、各コーナーで一番印象に残ったことを、ひと言ふた言書いて、あとはタイトルのことを書きます。
【青木さんの話@小さな食卓】
リーダーとは…全員の意見を聞き出す。それを集約する。方向を決める。ケツは全部ふく。これができる人は相当かっこいい。
【農作業体験、土を見る@農場】
山積みにされた木材チップ。花崗岩質の地質からは想像もできない豊かな土を作り出すもと。土は真っ黒だった。
小さな食卓でのシェフの方から聞いた青木さんのことと、土にこだわる姿を見て、自分の中の青木さんのイメージは「職人」になった。
【イケメンしんちゃんのカタリバ】
今までの青木さんの人生と地域のこと。地域での一生の付き合いだからこそ衝突を避ける(ガス抜きとしての悪口)田舎の本質。常吉でも感じている歯痒さと、半年じゃ本質的な問題の解決は相当困難そうだということを考えた。ただ、きっかけは与えられるような気はする。
青木さんがここまでやってこられる間に、相当な苦労があり、それに耐えるだけの並ならぬ忍耐力の断片を知ることができた。
【親】
ここから研修内で一番印象に残ったこと。
各地域の方々が集まって、議論の場。各働き隊が自己紹介をした。
しばらくして、鋭い指摘が出た。
「自分がどんな存在なのかを説明する時に、自分の人間には親の生き様が少なからず影響しているはずなのに、君たちの説明には親の存在が抜けている。」
自分は、それに対してすぐに答えが出てこなかった。
自分の人間形成に親は絶対関わっている、それは間違いないのだけれど、具体的にどこのどんな部分に親の存在が影響したのか、あまり考えたことはなかった。
自分にとっての親とは?
よく人は「親は自分を生んでくれた。私は親のことを尊敬している」という。
自分を産み、ここまで育ててくれた、応援してくれたかけがえのない存在で、感謝している。ただ、それ以上のものを感じていない、といったら語弊があるかもしれないが、はて、自分は親のことを尊敬しているかといったら、正直そこまでの感覚はないのが実情である。
尊敬という感覚の欠如。なぜ欠如しているのか(そもそも欠如していたらいけないのかという話もあるけれど)。
それは親のことを知らないから、というのが自分の中の答えだった。
親の生き様を見て、初めて尊敬の念が出てくるのだろうか。
親の生き様…、そんなの親から聞いたことない。ただ、明確にではないが感じてはいたはずで、いままでそれを、意識して思い返したりするようなことをしてこなかった。
そんなことを、これを書くまで考えていた。
生い立ちをさかのぼってみた。下書きの段階では恥ずかしすぎて、あるいはダメ人間過ぎて人に見せられないこともいろいろ書いた。そして、そこに表れる親の存在を思い返してみた。
そうして自分の人生と親の関係を見てみると、ほんと好きなようにやらせてくれているなと感じる。例えば、大学でラクロス部に入って、下宿したいと言った時(当時自宅から通っていて、1時間半の通学時間。練習は朝7時からなので、通うのは相当負担だった。)も猛反対されたけれど、いざやりだすと本当に助けてくれたし、やっぱり自分がやるって決めたことに対して応援してくれている。これだけじゃなく、働き隊で丹後で活動することに対しても応援してもらっている。だから、これからどんな人生になろうとも、味方であり続けてくれる存在は親しかいないのだろう。
ただ、こういう風に自分を育ててくれた、親がどんな人生(深い質の部分)を歩んできたのか、恥ずかしいことに、あまり知らない。
親が自分をどんな思いで育てようとしたのか、そうなった親の人生の背景は何なのか。
そういった意味で、自分は親のこと全然知らないのかも、と気づいた。
そこを知って、理解して初めて、自分に取っての親の存在がどんなものか、少しは分かるような気がする。
実家に帰ったら、丹後のうまい酒とうまい肴をあてに、親と話してみたいと思った。