2012年3月29日木曜日

選択するために

24日のシンポジウム『世界サミット「リオ+20」〜私たちが、望む未来とは〜』に行ってきました。
25日は滋賀でマザーレイクフォーラムにも行ってきました。
24はグローバルに視野を広げる。25はローカルで動くためにどうするか考える。そんな感じに位置づけて参加しました。

そうそう。リオと言えば、あれですね。セヴァン・スズキのスピーチ
1992年に12歳の少女がこんなことを世界に対して言った訳ですよ。
20年経ったんですけど、自分はその時幼児でしたけれど、世界はいい方向に向かっているでしょうか?

きっと、多くの人はそうは思えていないのではないのでしょうか。


でも、僕は、いい方向に向かっていってると思います。
なぜなら、自分が小さいことながら、少しづつ行動していっているからです。量は少ないですが。

確かに、世の中は悲しいことと憤りたくなることもたくさんありますが、それは世の中をもっと良くしていきたいと思っているからなんですよね。

昨日も、岡山に行って切り捨て間伐材をひたすら搬出するお手伝いに行ってきました。


こんなのが大量ですね。林野庁が二酸化炭素吸収機能として間伐を推進しますといっても、それは間伐材を搬出して資源化することが必要条件であって、これじゃ微妙ですよね。。
「保安林」という表記がシュールです。こんな状態では水源涵養機能も十分とは言えないだろうなと想像します。
とまぁ、こんな状態の森をなんとかしちゃるってことで、美作市地域おこし協力隊の人らは気張っとる訳で、そんなふうに世の中を良くしていこうと前線で動きまくってる人らは輝いていますね。



まだ直接お会いしたことは無いですが、トビムシという会社の古川大輔さんという方は、自身のブログでこんな風におっしゃっています。

情熱とは持続性ある行動力とみれば、それは「好き」×「憤り」である。

では「好き」や「憤り」に出会うにはどうしたらよいか、それが原体験

である。自分自身でしか経験していないもの。好きから始まっても、
憤りから始まってもいずれにしろ療法に出会わなければ、情熱は続
かないものである。             
                 情熱
              (持続的行動力)
                  ↑
              好き × 憤り
                 ↓↑
                原体験

 世の中を良くしたいがために動く、という情熱の持続性は「好き」と「憤り」でできる、なるほどです。今自分に「好き」はあるか?「憤り」はあるか?

…ありますねぇ。でも、その程度はどれくらいあるか?


行動の情熱はそうとして、動くためにはどうすれば良いか。

24日のワールドカフェでの気づきがありました。
行動のプロセスはこんな感じです。

知る→考える→選択する→行動する→評価する→考える→…


選択・行動できるための、知識と考える力が、これから必須ですね。
日々、勉強と小さな行動の繰り返し、ですね。

勉強中の本:武器としての決断思考

2012年3月16日金曜日

0316今日の1枚

ニホンアカガエルが続々孵化していきます。

2012年3月14日水曜日

「パッシプデザイン」という考え方

今日は友人のお誘いを受けて、大阪、天六の豊崎長屋の見学と、上新庄の山本博工務店さんでOMソーラーのお話を聞きにいってきました。

①豊崎長屋、山本博工務店
豊崎長屋は、大阪市内に残る、大正時代の長屋4棟15戸に、耐震補強と住戸改修を施して再生したプロジェクト。戦災や震災を免れてきた長屋を、単に文化的価値から「保全する」だけではなく、さらに将来へと「受け継がれていく」ことを旨に計画を練ったものである。大阪市立大学生活科学研究科と山本博工務店さんが協同で進めているプロジェクトである。

また、山本博工務店さんは、大阪、上新庄にオフィスを構える、無垢の木の家をシッカリトした大工さんの手によって作っていくスタイルの地域に根ざした工務店である。後でも述べるが、OMソーラーシステムという、太陽熱と空気の動きを利用した室内温度調整システムを導入している工務店でもある。



天六には時々行くが、このような町並みが残っているのは初めて知った。
京都での町家と同じような感じではあるが、wikiによると、「長屋との違いは、長屋が集合住宅であるのに対し、町屋が独立住宅であること」だそう。

ここは大阪市立大学のサテライト研究施設と位置づけられており、卒業制作や修士制作にココの長屋のデザイン企画をやったりして、それが実際に試みられていたりするそうで、近頃話題のリノベーション活動の現場でもある。また、研究室の卒業生らが実際にそこでシェアハウスをしたりして実際に住み込んでいるというのも興味深い。

こういうところを見ていると、これからの住環境の価値観の変化を感じる。
つい10〜20年前まで、いや、今でも多くは、高層マンション、あるいはどこかで土地と一軒家をローンで買うことがスタンダードであるが、昨今シェアハウスや町家、古民家再生といった、住むという行為の価値観や、「古い」ものへの価値の評価が変化し、より多様になってきていると思う。少なくとも自分とその周辺にいる人たちの、この辺に興味のある人たちを観察していると、古いからイヤなのではなく、汚いからイヤなのである。つまり、今そこにある古いものを新しいものや既存のものと掛け合わせて、新鮮であり、また同時にどこか懐かしい感じのする空間を作っていくことに関心が高い。古さに価値を見いだし、足りないものを現代的なものとの組み合わせで補っていく。こういう活用のされ方は多くの若者の関心を引き立て、町並みの現代的保存が可能になっていくのだろうなと感じた。


②OMソーラー、パッシブデザイン
次に、山本博工務店さんのオフィスにお邪魔して、OMソーラーなるシステムを紹介してもらった。
OMソーラーシステムとは、太陽の「熱」と「空気」を使って家を温めたり、お湯をつくったりするシステムで、太陽光発電とはまた異なる太陽光エネルギーの使い方である。
参考:http://omsolar.jp/omsolar/winter.html
OMソーラーシステムは太陽の熱をそのまま使う。今日のように晴れた日ではエアコンなしで24℃にまで室温を上げることができ、電気代などはかからない。
また夏でも、空気の流れを変えることである程度涼しくなるそうで。

価格は一概には言えないが200万前後だそう。
なかなかな価格だが、暖房や給湯でかかるエネルギーが大きく節約できると考えたら投資の価値はあると思う。家庭内の使用エネルギーは暖房、給湯が4割以上を占めるらしい(はっきりとした数字は覚えていない…)。


このようなシステムの根底にある「パッシブ」の考え方は、これからのあるべきライフスタイルの大きく寄与する考え方だと思ったので、紹介させてもらいたい。

以下抜粋(http://omsolar.jp/omsolar/passive.htmlより)
『パッシブとはアクティブ(能動的)の反対語で、「受動的」という意味です。
具体的に言うと、帆に風を受けて進むヨットや、空を飛ぶパラグライダー、夏の打ち水、干した布団に寝た時のぬくもりなど、これらはすべて、パッシブのあり方の一例です。一方、海でのモーターボート、空でのジェット機などは、機械の力に頼るアクティブなあり方の一例といえます。
こうしたパッシブなあり方に共通するのは、「熱や力を自然のまま利用し、しかも汚れを生まない」ことです。
こうした考え方をお話しすると、「パッシブは、技術の進化を否定して、昔の生活に戻れということ…?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。パッシブは、自然とより深く関わることによって得られるものを大切にした方が、機械や化石燃料に頼るよりも心地いい暮らしができると考えます。
私たちが生きている世界は、それほど住みにくい環境ではないはずです。基本的に私たちはここに生まれてきた生物ですから、この世界と大きく矛盾しているはずはありません。
人工的な環境の「快適」さに慣れすぎると、外へ出た際に体の変調をきたす原因にもなります。人工環境が、人間が本来もつ耐寒・耐暑の適応能力を低下させるからです。
初めからアクティブな方法に頼り切るのではなく、まずはパッシブなやり方で自然の力を活かし、足りない分はアクティブで補う。それは、健康によく、かつ地球に負荷をかけない方法です』

そして、ココが大事だと思うことは、現在のアクティブなあり方のよさも認め、それも全然あっていいという、ごくごく自然な考え方。要はアクティブなあり方への依存度を下げることが重要なのだ。
『自然の力を活かすのはいいけれど、それだけでは足りないという見方があります。確かに、お天気や地域の気候に左右されることは避けられません。でも、太陽が顔を出さない時、それで足りない時には無理をせず、補助暖房や冷房装置を動かせばいいと考えます。
「せっかく家をつくるなら、まずは自然エネルギーを上手く使おう。それで足りない時は他で補おう。」という発想です。
人間には本来、体温を調節したり衣服を着たりと、環境に適応する能力や知恵が備わっています。 もともとある人間や自然の力を生かして、冬は冬らしく、夏は夏らしく過ごしながら、ちょうどいい状態をつくりだそうというのが、パッシブの発想であり、OMソーラーのやり方です。』

エネルギーや居住環境等、現代社会を支える多くのシステムは、自然の現象を細かく分割し、ある部分に特化(たとえば耐震性等を重視した鉄筋コンクリートの建物)したものが多くを占め、現代社会を支えてきたが、一方でその特化により多くの矛盾が顕在化してきてもいる(たとえばコンクリートで固められた都市部でのヒートアイランド現象など)。そこには多様かつ同時に存在する自然現象をうまく利用しようという姿勢ではなく、それらを極力排除し、単純化し、コントロール下に置こうという、ある種傲慢な姿勢とも解釈できる実態が存在する。そのような姿勢の限界は明らかであり、これからはより賢い自然現象とのうまい付き合い方が求められる。防災ではなく減災、コントロールではなくマネジメント。

自然現象には無駄なものが無い。そこから得られる知恵を大事にするライフスタイルは、持続可能な地域社会のあり方に直結すると思う。

2012年3月9日金曜日

そろそろ挑戦

かすがの郷で頂いた大きなレモン、もうそろそろジャムにしようかしら。
これを参考に。

ハチミツも欲しいところ。

Cpicon 万能!レモンマーマレード by Chitoto

2012年3月4日日曜日

友人

大学の友人が京丹後で有機農業をやるそうです。
そこに至った経緯がここに記されています。
このブログを読んでくれる方々にもぜひシェアしたいです。

23歳の所信表明

3.11から1年が経とうとしています。
この1年で、彼は様々なことを調べ、考え、行動してきました。

丹後の皆さん、彼も一緒に未来を作っていく仲間です。
僕もいつかそちらに帰ります。

自分はまだ考えます。そのために休学という選択をしたのですから。
もっと深めないといけない。知らないといけない。
そして、決めなければいけない。

大阪に帰り、都市の生活を満喫している訳ですが、何をするにもお金が結構かかるのがやっぱり気になります。
その分お金を稼いでも、その分また消費が増えていきます。
モノもあります、人もたくさんいます。
それはお金を出せば買えます。素晴らしいシステムです。
また、本当に必要なものかどうか考えさせず、たくさんの人の欲をうまく引き出す仕組みがあります。
意図してか意図せずかわかりませんが、その背景が見えにくくなっています。

「考えだしたらきりがない」確かにそうです。
でも、知らないじゃすまされないことって、実は結構身近なところにたくさんあるんじゃないでしょうか。

知らないうちに途上国の資源や人の搾取に加担していたりする。
うーん、知ってたらだれでも避けたいことですよね。

「問題」として提起される以上、ネガティブなことも多くて、それを書くのははばかられますが、そういったことは意識して、それに合う行動をしていきたいですよね。
意識と行動は解決の一歩ですからね。


こうやって少しずつ価値観を綴っていったりしています。

個人的に素敵だなと思っている人がこんなことをつぶやいていました。
「本当に正しいことや未来のことなんて誰も知らないんだから、無知だからこそ気楽に、自分も他人も否定しないで、尊重できたらいいなと思う。」



「知る」ことから始めよう。人も、物事も。


こういう風に考えられるようになったのも、丹後で暮らしてきたからかな?