今日は友人のお誘いを受けて、大阪、天六の豊崎長屋の見学と、上新庄の山本博工務店さんでOMソーラーのお話を聞きにいってきました。
①豊崎長屋、山本博工務店
豊崎長屋は、大阪市内に残る、大正時代の長屋4棟15戸に、耐震補強と住戸改修を施して再生したプロジェクト。戦災や震災を免れてきた長屋を、単に文化的価値から「保全する」だけではなく、さらに将来へと「受け継がれていく」ことを旨に計画を練ったものである。大阪市立大学生活科学研究科と山本博工務店さんが協同で進めているプロジェクトである。
また、
山本博工務店さんは、大阪、上新庄にオフィスを構える、無垢の木の家をシッカリトした大工さんの手によって作っていくスタイルの地域に根ざした工務店である。後でも述べるが、OMソーラーシステムという、太陽熱と空気の動きを利用した室内温度調整システムを導入している工務店でもある。
天六には時々行くが、このような町並みが残っているのは初めて知った。
京都での町家と同じような感じではあるが、wikiによると、「長屋との違いは、長屋が集合住宅であるのに対し、町屋が独立住宅であること」だそう。
ここは大阪市立大学のサテライト研究施設と位置づけられており、卒業制作や修士制作にココの長屋のデザイン企画をやったりして、それが実際に試みられていたりするそうで、近頃話題のリノベーション活動の現場でもある。また、研究室の卒業生らが実際にそこでシェアハウスをしたりして実際に住み込んでいるというのも興味深い。
こういうところを見ていると、これからの住環境の価値観の変化を感じる。
つい10〜20年前まで、いや、今でも多くは、高層マンション、あるいはどこかで土地と一軒家をローンで買うことがスタンダードであるが、昨今シェアハウスや町家、古民家再生といった、住むという行為の価値観や、「古い」ものへの価値の評価が変化し、より多様になってきていると思う。少なくとも自分とその周辺にいる人たちの、この辺に興味のある人たちを観察していると、古いからイヤなのではなく、汚いからイヤなのである。つまり、今そこにある古いものを新しいものや既存のものと掛け合わせて、新鮮であり、また同時にどこか懐かしい感じのする空間を作っていくことに関心が高い。古さに価値を見いだし、足りないものを現代的なものとの組み合わせで補っていく。こういう活用のされ方は多くの若者の関心を引き立て、町並みの現代的保存が可能になっていくのだろうなと感じた。
②OMソーラー、パッシブデザイン
次に、山本博工務店さんのオフィスにお邪魔して、OMソーラーなるシステムを紹介してもらった。
OMソーラーシステムとは、太陽の「熱」と「空気」を使って家を温めたり、お湯をつくったりするシステムで、太陽光発電とはまた異なる太陽光エネルギーの使い方である。
参考:
http://omsolar.jp/omsolar/winter.html
OMソーラーシステムは太陽の熱をそのまま使う。今日のように晴れた日ではエアコンなしで24℃にまで室温を上げることができ、電気代などはかからない。
また夏でも、空気の流れを変えることである程度涼しくなるそうで。
価格は一概には言えないが200万前後だそう。
なかなかな価格だが、暖房や給湯でかかるエネルギーが大きく節約できると考えたら投資の価値はあると思う。家庭内の使用エネルギーは暖房、給湯が4割以上を占めるらしい(はっきりとした数字は覚えていない…)。
このようなシステムの根底にある「パッシブ」の考え方は、これからのあるべきライフスタイルの大きく寄与する考え方だと思ったので、紹介させてもらいたい。
以下抜粋(
http://omsolar.jp/omsolar/passive.htmlより)
『パッシブとはアクティブ(能動的)の反対語で、「受動的」という意味です。
具体的に言うと、帆に風を受けて進むヨットや、空を飛ぶパラグライダー、夏の打ち水、干した布団に寝た時のぬくもりなど、これらはすべて、パッシブのあり方の一例です。一方、海でのモーターボート、空でのジェット機などは、機械の力に頼るアクティブなあり方の一例といえます。
こうしたパッシブなあり方に共通するのは、「熱や力を自然のまま利用し、しかも汚れを生まない」ことです。
こうした考え方をお話しすると、「パッシブは、技術の進化を否定して、昔の生活に戻れということ…?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。パッシブは、自然とより深く関わることによって得られるものを大切にした方が、機械や化石燃料に頼るよりも心地いい暮らしができると考えます。
私たちが生きている世界は、それほど住みにくい環境ではないはずです。基本的に私たちはここに生まれてきた生物ですから、この世界と大きく矛盾しているはずはありません。
人工的な環境の「快適」さに慣れすぎると、外へ出た際に体の変調をきたす原因にもなります。人工環境が、人間が本来もつ耐寒・耐暑の適応能力を低下させるからです。
初めからアクティブな方法に頼り切るのではなく、まずはパッシブなやり方で自然の力を活かし、足りない分はアクティブで補う。それは、健康によく、かつ地球に負荷をかけない方法です』
そして、ココが大事だと思うことは、現在のアクティブなあり方のよさも認め、それも全然あっていいという、ごくごく自然な考え方。要はアクティブなあり方への依存度を下げることが重要なのだ。
『自然の力を活かすのはいいけれど、それだけでは足りないという見方があります。確かに、お天気や地域の気候に左右されることは避けられません。でも、太陽が顔を出さない時、それで足りない時には無理をせず、補助暖房や冷房装置を動かせばいいと考えます。
「せっかく家をつくるなら、まずは自然エネルギーを上手く使おう。それで足りない時は他で補おう。」という発想です。
人間には本来、体温を調節したり衣服を着たりと、環境に適応する能力や知恵が備わっています。 もともとある人間や自然の力を生かして、冬は冬らしく、夏は夏らしく過ごしながら、ちょうどいい状態をつくりだそうというのが、パッシブの発想であり、OMソーラーのやり方です。』
エネルギーや居住環境等、現代社会を支える多くのシステムは、自然の現象を細かく分割し、ある部分に特化(たとえば耐震性等を重視した鉄筋コンクリートの建物)したものが多くを占め、現代社会を支えてきたが、一方でその特化により多くの矛盾が顕在化してきてもいる(たとえばコンクリートで固められた都市部でのヒートアイランド現象など)。そこには多様かつ同時に存在する自然現象をうまく利用しようという姿勢ではなく、それらを極力排除し、単純化し、コントロール下に置こうという、ある種傲慢な姿勢とも解釈できる実態が存在する。そのような姿勢の限界は明らかであり、これからはより賢い自然現象とのうまい付き合い方が求められる。防災ではなく減災、コントロールではなくマネジメント。
自然現象には無駄なものが無い。そこから得られる知恵を大事にするライフスタイルは、持続可能な地域社会のあり方に直結すると思う。