自然と人との接点のあり方を実務の立場からこつこつと考えていきます。 タイトルは大学院時にとてもお世話になった集落名をもじったもの。どんなことも、常に長い目で見て「よし」ととらえられるように。
2012年5月9日水曜日
「クマ牧場」問題から、動物園水族館を消費することの意味を考える
行き場ないクマ29頭…「牧場」すべて断られる
読売オンラインの記事。
あぁ、やっぱりそうなるのね。「かわいそう」だけではだめなんだよな。
こういう自分もかやの外からコメントしている訳で、無責任である。
こういう問題は人間のエゴ以外の何物でもないのだが、
ただ、批判だけをするのは簡単なことで、この事故を通じて、野生生物を飼育することと、それを自分たち(全ての人ではないが)が消費して生活していることの意味を考えなきゃ。
野生生物は与えられた環境で淡々と生きるだけ。来客はそれを商品として消費し、施設はそのお金で成り立っている。一方で、外に出てしまえば飼育員でも襲うし野生は失われた訳では全くない。
人間の管理の甘さで人間も死ぬし襲ったクマも殺される。
痛ましい事故としてメディアに取り上げられ、「クマは凶暴だ」「殺されたクマはかわいそう」とされる。
そこで来客は減る。経営が逼迫する。お金がない。引き取り手もお金がなかったり施設がなかったりで、いない。
で、安楽死させようとも考えている。
もうエゴでしかない。
しかし、それでも「牧場」や、もう少し拡げて動物園・水族館がある意味ってなんだろう?と考えた時に、見えてくるものがあると自分は思う。
自分たちが何を消費しているのか考えると、それは動物の行動や生態の断片から得られる感動を消費している訳で、シンプルに、素敵と思えたら、そこからもう少し想像力を働かせ、その生息地の状況はどうなっているのかとかを知る「きっかけ」を与えてくれることが1つの意味としてあるんじゃないかな。
ま、この意見は受け売りでもあるんだけどね。でもホントにそう思うから自分の意見でもある。
消費するならいろんなものを得れた方が楽しいよね、っていう話。
たまたま見つけた記事があったので、紹介。
飼育員全員がこんな風に考えているとは思わないけど、こんな風に使命感を持っておられるこの方はすごい。
飼育員さんが伝えようとしていることと、自分たち消費者も知ることができるいい記事です。
就職ジャーナル【仕事とは? 坂東 元 氏】
2012年5月4日金曜日
いわさきちひろ展
兵庫県立美術館でやってるいわさきちひろ展に行ってきた。
こういう美術展系はあんま行ったことなかったけど、時間ができたのでいくことに。
彼女の作品はおそらくこれまでに何度も見たことあったけど、それが「いわさきちひろ」が描いた、なんてことは最近まで知らなかった、というくらいの素人っぷりだ俺は。
人の名前とか作品の名前はなかなか覚えられず、作品が"だいたい"どんなだったかの方が記憶に残る(といっても、ふわっとだけ覚えている感じ)ので、こういう話題に疎い。
作品を見ていって、安らぐ、というのがまず一言目に出てくる。
技術とかについても全く無知なんで分からないけれど、水彩画でにじませたり、隣の色と少し混ざって緒と違う色になってたり、はたまた混ざらずに色が重なり合ったりしてた。
薄くてふわっとした感じに安心感があって、平和な気分になる。
やっぱり子どもの特徴をすごくうまく描いている。幼児の腕とかのふっくら感とかむちむち感、小学生くらいの子の華奢な感じとか、繊細なような柔らかいような。
あー、こういう仕草してるしてる。って、リアルな感じが頭の中でフワーって出てきた。
どれもいいなと思った中、何点か気に入った作品もあって、「ストーブとふたりの子ども」(参考:ここの37番)はその1つだけど、灯油の(?)ストーブの周りに男の子と女の子がいて、男の子は本を、女の子は猫(犬だったけな?)を抱いてる絵。
そのストーブ周りの赤色と子どもがゴロゴロして本読んでる画に何とも言えない暖かみを感じて、気に入った訳なんだが、気に入った作品には共通点があるなと思った。
それは、どの作品も脈略無く突然好きになるとかそういうのじゃなくて、これまでの自分の経験の中から何かしらの記憶を想起させるものがあって、この絵も、小さい頃ストーブの周りでゴロゴロして、それがとても心地よかったという、何のことはない記憶が出てきて、それで親近感が湧いたりするもんなんだな。
ふらっと美術館ってのも、いいもんだな。
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